被災地視察弾丸ツアー
■浜通り弾丸視察ツアー
浜通りの復興状況をいろいろ見てきました。
前に行ったのは3年前。その時はどしゃぶりで、めちゃくちゃ冷え込んだ日で、服はしけるし足元は悪いしで最悪だったんですけど、本日はカラリとした秋晴れに恵まれました。
■ピッチがいっぱい!Jヴィレッジ
幾つか回りましたが写真NGの所もあったんでかいつまんで。
まずはJヴィレッジ。わたしは震災以降その存在を知ったんですけど、最近になってようやく再開したとのこと。立派なホテルもあるよ。本日のランチはここで食べました。
窓からは人工芝、天然芝のピッチがずらりと見えて壮観でした。
そしてこのカメの甲羅のような、ダンゴムシのような(案内役が自分で言ってた、笑)ドームがあのうわさの!
元々は、はっぱの形にしたかったらしい(所在地が双葉なので)
設計は前田建設。
なんてうつくしい流線型!特にカメの首に見えるあたりのカーブが良い。
近づいて、地面まで引き延ばされている屋根の一端を触ると、テカテカしたターポリンみたいな素材。太陽光と雨だけできれいになるとのこと。
今年7月に開業したところで、人工芝は真新しい。
敷き詰めているゴムの匂いもした。
認知度が低いらしくまだまだ予約がらあきだそうな。
■請戸港へ
福島では松川浦に次ぐ大きな漁港だったとのこと。
絶賛工事中ですが、かつての3割くらいは漁船も戻っているらしい。
鉄筋で組まれたやぐらみたいな展望台に上って説明を受ける。海は青く澄んで凪いでいるが、この後ろには例の津波でのっぺりと更地に変えられてしまったかつての住宅地が広がっている。
帰りはこのかつての住宅地を通って帰った。
めちゃくちゃになった内部もそのままに、荒れ放題に朽ちている家々。
ぼうぼう伸びているススキの群。その向こうにちらちらと、真新しい花がひっそり供えられているのが見えた。
7年経っていても、こういう景色を見ると当時のことに思いは引き寄せられる。
と言ってもその時わたしは県外に住んでいて、戻ったのも何年も経ってからだけど。
震災時の反省から改善が加えられた、非常時の対策本部。
備蓄食料から独立した電源から、寝泊まりする時のための簡易な居住スペースまであった。
有事にはいつでも使えるように(または、訓練活動に使うために)対策本部には机、電話、ファックス、コピー機がズラリと揃っている。
説明をしてくれた副所長さんには悪いけど、できればこのような施設を使う事態にならないでほしいな…。
■ほんとうにこわかったのは
移動中、帰還困難区域を通り抜ける。道路はずっとまっすぐ伸びていて、状態もいい。行きかう車も、工事現場のダンプが多いけどふつうの車も沢山いた。走っているとごく普通の道なんだけど、その両脇に立ち並ぶ店が全部廃墟だった。コメリやしまむらやヨークベニマルやダイユーエイトといった、家の近くの日用品店が、ひとつ残らず廃墟と化していた。時代遅れのドライブスルーや土産物屋ではなく、自分も買い物によく行く店が、かたや何事もなく営業していて、こっちでは誰もいなくて看板がすすけて商品が散らかっていて駐車場にススキが生えている。
それから民家も全部もぬけの殻だった。遠目には誰かがいそうに見えるのに、昼日中なのにすべての家はカーテンを閉ざし、玄関前が閑散として、田んぼにはススキが伸び放題で、畝があいまいになってきている。
最先端の科学施設よりも、遠くに見えるF1の影よりも、そういう状況がいま眼前にあることにスッと怖さを感じた。このあたりに来るといつもそう思う。
車での移動中、お手洗いに行きたくなって、カーナビにローソンが見えたから「よし!この近くになったら思いきって休憩取りたいって言おう」と思ったのに、さしかかったらそこは青い看板の破片がぶら下がったかろうじてローソンだとわかる廃墟だった時が、一番背筋が冷えたな。
■それでもわたしはここに旗を立てる、そしてここから見えるものを語らなくてはいけない
今日一日かけて浜通りを回ってみて強く思ったのは、
「時間をおかないで見にくればよかった」。
7年が経過し、すべてとはいかないがあらゆるものが一生懸命、もとに戻ろうとしている。まるで擦り傷の痕がぼこぼこと肉で盛り上がるみたいに、土地と人の生命力が必死で失われた部分を埋めようとしている熱を感じた。それと引き換えに、当時の生々しさや欠落感は癒されつつある。
震災当時福島にいなかったことから、震災について考えること、語ることをずっと憚ってきたわたしに、詩人が言って聞かせてくれた言葉がある。
「あなたのいる場所から見えるものはあなたにしか見えない。だから語ってほしい」
その言葉を得た日から、語ってもいいんだとは思ったもののいきなり色々なことが話せるようになるわけでもなく、震災についてなんとなくずっと心の中に引っかかっていました。今回はその引っかかりに対して、現地の風に吹かれ、更地と廃墟を眺め、自問自答する機会を得ることができました。
ひとつ分かったのは、「自分が今考えなくちゃいけないことは、実は自分の足元に落ちていた」ってことでしょうか。
いつも、こんなところ田舎だしなんにもないし東京に住みたい、とか、もっと文学とかアートについて触れて、考えていたい、とか、こんな仕事つまらんからもっと趣味が生きる職業につきたいなあとか思っている(書いてみると、こんなこと言ってていいのは20代前半までですよ、って自分でも思うけど本当だし仕方ない)。いつも遠くのこと、いま自分が手にしていないものを見ている。それはいつだってわたしを遠くまで連れて行ってくれるけれども、どこか満足していない気にさせる。でも今日同じ県内に廃墟群が広がっているのをじっくり見て、トンネルをくぐって住んでいる街の明かりを見た時、考えなくちゃいけないことはまだ見ぬ遠くではなく、この足元と地続きの場所にあるのかもしれない、とストンと思ったりした。それは必ずしも震災に係わる問題ではないかもしれないけど、とにかくここからそう遠くないところに求めるものは全部あるのだと、妙に強く思ったのだった。