いつか、ちゃんと観に行きたい★第11回 恵比寿映像祭(TOP)|310224
東京都写真美術館で開催していた
「第11回 恵比寿映像祭」に行ってきました。
今回は狙ったわけではなくたまたま映像祭の時期に東京に来ており、前日に開催を知ったばかりでした。期間が短いのでいつも行くのは諦めていたんですが、ラッキーでした。予定していた展示への移動の合間に、これ幸いとちょっぴり覗いてきました。
(したがって、殆どの作品はさらーっと眺めて通るだけになってしまいました。結構長尺の作品も多く、もっと腰を落ち着けて見れたらよかったなあと残念です)
今年のテーマは「transposition 変わる術」とのこと。
サラッとしか見ていないので、特に印象に残った作品についての所感を少し。
■地主麻衣子「テレパシーについて」(2019)
無音の中、二つのスクリーンが並んでいます。
左の画面では、オレンジの服の女性の背中から誰かが気を送って?おり、女性はカメラを回しています。どうやらその映像が右側に映っているようです。送られた気?が、右の映像にどう影響しているのか、そういうことを見る作品のようです。
5分くらいは眺めていたと思いますが、特にはなにも起こりませんでした(起こったらすごい)。
うーん、映像の構図がシンプルできれいで、見ていて気持ちがいいなあ、というくらいで、ちょっと作者の意図がつかみきれなかった…
ここでは、テーマの「transposition」は、気を送る誰か→女性→湖の映像、という順番で、起こっているとは考えられそうですが。。
■岡田裕子「エンゲージド・ボディ」(2019)
臓器の形のアクセサリーを身につけた真っ赤なマネキンたち。
この作品は、単純に岡田裕子作品だからという理由で取り上げてみました。なにしろ、以前現代美術館でやっていた「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」展で見た岡田作品がとにかくぶっ飛んでいて、度肝を抜かれたからです笑
今回もちょっとグロテスクで、血みどろな感じの展示でした。
岡田氏自身が演じているインタビュー形式の映像作品もありましたが、時間がなくてあえなく見送り。
■市原えつこ「デジタル・シャーマン・プロジェクト」
死後、その人格を写し取ったAIと49日を過ごすというコンセプト。
これはあくまでアートであり実際に行われたわけではないのかもしれないけど、もしも故人の魂を写し取ったAIがあったとして、残された人はそれを49日後にきちんと手放すことができるのだろうか?それはその人を喪う体験をもう一度繰り返すことになるような気がする。
また、1年、3年、10年と、生きている自分は年を取っていくのに、更新されないAIは永遠に死んだ時点から成長しない。遺族と故人の間には、故人が死んだ瞬間から、乗り越えられない断絶ができ、それは絶え間なく拡がり続けていくのだと思う。その断絶を受け入れるためには、魂の寄り代ではなく、徹底的なその人の「不在」が必要なのだと思うけれど…。 でももし自分の大切な人がなくなったとして、このような機械に頼らずにいられるかといえば自信がない。考えさせられるコンセプトだった。
■ユニヴァーサル・エヴリシング「トライブス」(2018)
群衆の動きをコンピュータ制御で動かした作品。雑踏の中、あちこちで人がぶつかり合っていたり、整列して行進して見せたり。動きがあって見ていて飽きない作品だった。
コンピュータが動かしているから当然なんだけど、この群衆を構成する人ひとりひとりには、人格が存在しないように見える。向かいから来る人にぶつかろうが謝りもしないし、密度の濃いところを突っ切っていっても平気そうにしている。何かの法則や規則に従って動かされているんだな、とつぶさに観察していると分かってくるのだけど、この作品を観察している自分自身もまた、社会や組織の規則や法則に従って感情もなく動いている時があると気が付き、はっとしたりした。