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ハイブリッド日本家屋の住み心地は?★田根剛 未来の記憶|301215

田根剛(たね つよし)さんの「未来の記憶」展に行ってきました。

建設業界周りにいる夫もめずらしく興味をもったので二人で鑑賞。

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www.operacity.jp

彼の建築設計スタイルは、「作品を建てる土地のことを徹底的に、大小係わらず調べ収集した情報から、イメージをつかみだす」

第一章の展示室では、そんな彼の脳内をそっくり再現したようなインスタレーションが広がる。

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壁一面のイメージの洪水。

なんとなく、丸いものとか、集合体とか、カテゴリ分けしてある。

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第二章。

田根氏はまだ40代初めかな?かなり若い建築家みたい。

そんな彼の近年一番大きな仕事は、この「エストニア国立博物館」。

ソ連により残された軍事飛行場の跡地をほぼそのまま利用し、徐々に空に向かって角度をつけていくガラスの発射台のような形をしている。

支配された記憶の残る遺構を抹消するのではなく、呑みこんで、つくりかえて、こんなに大きくきれいな建築にしてしまう発想ってどこから来るんだろう。

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中はこんなふうに小さなユニット展示室が連なっている。

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現地での建設風景を記録したドキュメンタリービデオ。

周りは東欧の森、森、森。

余計な御世話だけどこれ行くの相当苦労しないか?

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ビデオでは現地での苦労なども本人により語られていた。

特にお国柄なのか、壁面部分のガラスに張るパターンシールが納期までに全然できてなかったり、いろいろルーズだったりして完成に間に合わせるのに苦労した談が印象的だった…。どんなにすばらしいデザインも、高い理念や立派なコンセプトも、結局現場でガラスを切ったり配線やったりする地道な大工仕事の果てにあるものなんだなあ。

 

これは国立競技場のコンペに出したという「古墳スタジアム」。

ちなみに真ん中をくりぬいたようにオープンスカイになっていて、模型も下から潜って顔を出せる。

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街においてみるとこんな感じ。

ちょっとした山みたいだね。

隈さんも好きな建築家だし、隈案もあたたかみがあってすてきだけど、

こんなこんもりした緑の山が東京の真ん中にあったらなんだか和みそう。

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以下、ざっくりと。

「A house for Oiso」

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いろんな時代の「家」の要素を組み立てた、ハイブリッド日本家屋。

下部分に土間があるようだけど、単純に土の床ってさむそうだし家が冷えそう、あと壁が少なくて風通しよすぎて寒そう、と反射的に敬遠しちゃった東北民です。。

しかしシンプルで素朴なデザインには素直に惹かれた。しっかり中まで目視できる大きな模型っていいね。覗きこみながら、わたしならどこでごはんを作ろう?どこでテレビを見よう?どこに本棚を置こう?と考えるのも楽しかった。

 

建築家の「作品」に住まうって、どんな感じだろう?あんまり想像できないけど、たぶんおうちが大好きになって、大切に使って、家でくつろいだり家族と過ごしたりすることをとても丁寧にするようになる気がする。作家の一点もののお気に入りワンピースに袖を通す日のように、背筋が伸びて、立ち居振る舞いがどことなく変わるかもしれない。

 

弘前市には昔のシードル工場跡を利用した芸術施設ができるらしい。

まだ模型でしか分からないけど、もしかするとりんごのいいにおいがするかも?

出来た頃にまた青森行きたい。アート巡りしたい。

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まとめ

全体を鑑賞して感じたのは、田根さんはけして天才型の建築家ではないということ。賞もたくさん取って活躍しているけれども、その分うまくいかなかったことも沢山ある。いろんな展示やイベントのデザインにも挑戦していて、いつも自分の可能性を自分で試しているような気配が感じられました。

自らの可塑性をあれこれ試していくアグレッシブさ、まねしていきたいなあ。

また、土地と作品(建物)との関係性をどう切り結ぼうか、その土地に対してどのように向かい合おうか、と丁寧に追求する謙虚な姿勢があるように感じました。

模型も、作品解説ビデオもしっかり作り込んであって、作家の意図をなぞりながら実物を想像するのがたのしかったです。かなりじっくり楽しみました!

 

あーー、いつか建築家にマイホームの設計頼んでみたいなあ。。いくらかかるのやら…。。

 

 

 

おまけ

ハイブリッド日本家屋。

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北の大地でプチ登山 モエレ沼公園301016

■北海道は広かった

仕事のついでに、せっかく北海道来たのでかねてより行ってみたかったモエレ沼公園に行ってみることにした!

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住所は市内だけどすごい遠かった・・・

地下鉄とバスを乗り継いでいくと、遠くにお椀を伏せたような山。あれがモエレ山か!

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橋を渡って公園内に入ると広大な敷地。

点々とモニュメントや山や木立が配置されている。

遠くに見えているのがガラスのピラミッド。

4階建てで、中にはイサム・ノグチのAKARIや彫刻の展示が。

(AKARIって、和風居酒屋によくある照明みたいだなーと思ってしまった)

ショップもあった。銀色のピラミッドのバッジを購入。

 

この日はちょっと曇っていて、写真で見るとアイルランドの草原みたいだな…

 

 

■ピラミッド、モエレ山、その他

 

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晴れ間。

イサム・ノグチの作品を間近で見るのははじめて。

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中から仰ぎ見るとこんな感じ。

 

古代の水路跡のような溝が、ゆるりと弧を描きながら山の方から走っている。

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公園入口でレンタサイクルを借りられる。200円。

ミニベロであまりスピードは出ないけど、スカートでも漕ぎやすい。

この日はあまり時間がなく、彫刻エリアまで回れなかったけど、園内をぐるっと一周することはできた。今度はちゃんと旅行で来よう…

 

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テトラマウンド。

 

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プレイマウンテンを横目に見ながら(登る時間がなかった、、)下り坂を自転車で降りる。

周りは見渡す限りの芝生で、ビル影もない。

空は青く、風がさわやかで、なんだかとても楽しい気分になった。

広くてまっすぐな道を自転車で走るのはなんとも爽快!

公園なので閉園時間があるけど、もし許されるなら、ここでテントを張って一夜を明かしてみたい。ゆっくりあたたかいお茶を沸かしながら、星空の下で静かにひとり考えたい。

 

モエレ山には登ることができた。

すでにバスの時間が迫っており、でもここで諦めたら後悔するよな~と思って走って上ったら息が切れる切れる…

モエレ山は人工的に盛られた土の上にふんわりと芝生をまとわせた、一種のランドアート。

登って、てっぺんまで行ったらまた来た道を下りる。一見意味のない行為。虫が光を好んで集まったり、高いところを目指して延々と這っていくのに似ている。けれどわたしたちは登るときも降りる時も何かを考えている。ただ登って降りるだけなのに、その途上でわずかながら心の中では何かが変容している、気がする。

虫も何か考えているんだろうか。

 

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山頂からの眺め。

 

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山頂は平たく切り落とした形になっていて、舗装されている。

時間があればここでシートを広げてお弁当を食べたかった。

 

北海道に行ってきた!

■久しぶりの飛行機

めっちゃこわかった・・・

高校の修学旅行以来だった。

特にゆれたりしたわけじゃないんだけど、「こんな重たい乗り物が空を飛び続けている」っていう現実は理に反している気がして気が気じゃない

夫に言わせれば飛行機で事故に遭うのは交通事故よりも確率は低いそうだが。

 

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ちょっと不安だったからくろねこのくろすけ↑も今回同行してもらった~

 

飛んでいた時間は小一時間程度。

すぐに着いてしまった。早い~~~

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恒例・駅名写真

 

■札幌市へ

電車で40分程度で札幌市へ到着。

途中、山が全然見えず、盆地の民はちょっと心が落ち着かなかった。

この日は天気もよかった。

仕事へ向かう前に途上の赤れんが庁舎へ寄り道。

 

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京都府庁の旧庁舎に似た佇まい。

あちらは白い壁だけどね。

切り妻の部分に開拓民の赤い星が書いてあった。

 

お昼を北海道庁内食堂でいただく。

ちょっと奮発してひれかつ定食(¥600くらい)

おいしかった。

幣庁よりずっとおいしかった…(うらやましい)

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■仕事はちゃんとしました

後泊で帰るので、夜は大通り公園をふらつきつつホテルへ。

 

有名なテレビ塔

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時計台。

日本3大がっかり名所とか言われてるけど歴史的旧跡。

赤い星もばっちりついてるね!

子どもの頃一度家族旅行で札幌に来た時もここは見た記憶がある。

よもや20年後、仕事で来るとはつゆ思わなかったなあ。

入りたかったけど改装中だそうだ。

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新築のHTB社屋。

onちゃんがはさまってる・・・!!!

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onちゃんは「水曜どうでしょう」の大ファンの夫からグッズ買ってこいとの厳命を受けていたのでショップへ。

社屋の1階にはこんな展示スペースがあった。onちゃんがいっぱい~

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ごはんを食べに駅前へ。

ちょうどいま読んでいる「ゴールデンカムイ」のパネル展示やってた。

わたしは杉本以外だと尾形がすき~

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夕食&晩酌は「六鹿」で。

 六鹿(地図/写真/札幌駅/バル(バール)) - ぐるなび

瀟洒な内装で、居心地もよかった。

駅ナカのお店にしてはそれほど値段も高くない。

道内のクラフトビールも何種類か飲める。

クラフトビール大好きなのでここをチョイス。

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3種のソーセージ盛り合わせ。

皿の青がすごくきれいだった。

鹿肉のソーセージがおいしかったな!

あと何気にマッシュポテトがミルキーでおいしかった・・・

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わたしのすきな柑橘系フレーバーの地ビール

 

ひとりで2杯2品、¥2,600なり。

大満足でした。次もここ来たい!

 

■そして帰る

翌日帰る前に「モエレ沼公園」に行ってきましたが、

そちらは別記事で書きました。

モエレ沼公園-イサム・ノグチ設計 | 公式サイト

niemana.hatenablog.jp

 

空港の中でおみやげを買いまくりました。

もはや何しに来たのかわからん笑

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でかいロイス生チョコ

北海道といえばやっぱりこれ!!

 

機上からの眺め。

札幌、記憶してたよりもずっと都会で、ずっとおもしろそうな街でした。

今度はたっぷり時間を取って、プライベートで来たいなあ。

そしてアイヌ文化の資料館とか行きたい。

美術館とかも見れなかったし次はいきたいな~!

 

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被災地視察弾丸ツアー

浜通り弾丸視察ツアー

浜通りの復興状況をいろいろ見てきました。

前に行ったのは3年前。その時はどしゃぶりで、めちゃくちゃ冷え込んだ日で、服はしけるし足元は悪いしで最悪だったんですけど、本日はカラリとした秋晴れに恵まれました。

 

■ピッチがいっぱい!Jヴィレッジ

幾つか回りましたが写真NGの所もあったんでかいつまんで。

まずはJヴィレッジ。わたしは震災以降その存在を知ったんですけど、最近になってようやく再開したとのこと。立派なホテルもあるよ。本日のランチはここで食べました。

広野町レストラン アルパインローズ

窓からは人工芝、天然芝のピッチがずらりと見えて壮観でした。

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Jヴィレッジのロビーからの眺め。快晴!

そしてこのカメの甲羅のような、ダンゴムシのような(案内役が自分で言ってた、笑)ドームがあのうわさの!

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あれがうわさの全天候型練習場

元々は、はっぱの形にしたかったらしい(所在地が双葉なので)

設計は前田建設

なんてうつくしい流線型!特にカメの首に見えるあたりのカーブが良い。

近づいて、地面まで引き延ばされている屋根の一端を触ると、テカテカしたターポリンみたいな素材。太陽光と雨だけできれいになるとのこと。

今年7月に開業したところで、人工芝は真新しい。

敷き詰めているゴムの匂いもした。

認知度が低いらしくまだまだ予約がらあきだそうな。

 

■請戸港へ

福島では松川浦に次ぐ大きな漁港だったとのこと。

絶賛工事中ですが、かつての3割くらいは漁船も戻っているらしい。

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復興工事中の請戸港、展望台から海が一望できる

鉄筋で組まれたやぐらみたいな展望台に上って説明を受ける。海は青く澄んで凪いでいるが、この後ろには例の津波でのっぺりと更地に変えられてしまったかつての住宅地が広がっている。

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ところどころに流され残った民家が点在しているのが生々しい

帰りはこのかつての住宅地を通って帰った。

めちゃくちゃになった内部もそのままに、荒れ放題に朽ちている家々。

ぼうぼう伸びているススキの群。その向こうにちらちらと、真新しい花がひっそり供えられているのが見えた。

7年経っていても、こういう景色を見ると当時のことに思いは引き寄せられる。

と言ってもその時わたしは県外に住んでいて、戻ったのも何年も経ってからだけど。 

 

福島県原子力災害対策センター(オフサイトセンター)南相馬

震災時の反省から改善が加えられた、非常時の対策本部。

備蓄食料から独立した電源から、寝泊まりする時のための簡易な居住スペースまであった。

有事にはいつでも使えるように(または、訓練活動に使うために)対策本部には机、電話、ファックス、コピー機がズラリと揃っている。 

説明をしてくれた副所長さんには悪いけど、できればこのような施設を使う事態にならないでほしいな…。

 

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シン・ゴジラの世界みたい

 

■ほんとうにこわかったのは

移動中、帰還困難区域を通り抜ける。道路はずっとまっすぐ伸びていて、状態もいい。行きかう車も、工事現場のダンプが多いけどふつうの車も沢山いた。走っているとごく普通の道なんだけど、その両脇に立ち並ぶ店が全部廃墟だった。コメリしまむらヨークベニマルダイユーエイトといった、家の近くの日用品店が、ひとつ残らず廃墟と化していた。時代遅れのドライブスルーや土産物屋ではなく、自分も買い物によく行く店が、かたや何事もなく営業していて、こっちでは誰もいなくて看板がすすけて商品が散らかっていて駐車場にススキが生えている。

それから民家も全部もぬけの殻だった。遠目には誰かがいそうに見えるのに、昼日中なのにすべての家はカーテンを閉ざし、玄関前が閑散として、田んぼにはススキが伸び放題で、畝があいまいになってきている。

最先端の科学施設よりも、遠くに見えるF1の影よりも、そういう状況がいま眼前にあることにスッと怖さを感じた。このあたりに来るといつもそう思う。

車での移動中、お手洗いに行きたくなって、カーナビにローソンが見えたから「よし!この近くになったら思いきって休憩取りたいって言おう」と思ったのに、さしかかったらそこは青い看板の破片がぶら下がったかろうじてローソンだとわかる廃墟だった時が、一番背筋が冷えたな。

 

■それでもわたしはここに旗を立てる、そしてここから見えるものを語らなくてはいけない

今日一日かけて浜通りを回ってみて強く思ったのは、

「時間をおかないで見にくればよかった」。

7年が経過し、すべてとはいかないがあらゆるものが一生懸命、もとに戻ろうとしている。まるで擦り傷の痕がぼこぼこと肉で盛り上がるみたいに、土地と人の生命力が必死で失われた部分を埋めようとしている熱を感じた。それと引き換えに、当時の生々しさや欠落感は癒されつつある。

 

震災当時福島にいなかったことから、震災について考えること、語ることをずっと憚ってきたわたしに、詩人が言って聞かせてくれた言葉がある。

「あなたのいる場所から見えるものはあなたにしか見えない。だから語ってほしい」

その言葉を得た日から、語ってもいいんだとは思ったもののいきなり色々なことが話せるようになるわけでもなく、震災についてなんとなくずっと心の中に引っかかっていました。今回はその引っかかりに対して、現地の風に吹かれ、更地と廃墟を眺め、自問自答する機会を得ることができました。

ひとつ分かったのは、「自分が今考えなくちゃいけないことは、実は自分の足元に落ちていた」ってことでしょうか。

いつも、こんなところ田舎だしなんにもないし東京に住みたい、とか、もっと文学とかアートについて触れて、考えていたい、とか、こんな仕事つまらんからもっと趣味が生きる職業につきたいなあとか思っている(書いてみると、こんなこと言ってていいのは20代前半までですよ、って自分でも思うけど本当だし仕方ない)。いつも遠くのこと、いま自分が手にしていないものを見ている。それはいつだってわたしを遠くまで連れて行ってくれるけれども、どこか満足していない気にさせる。でも今日同じ県内に廃墟群が広がっているのをじっくり見て、トンネルをくぐって住んでいる街の明かりを見た時、考えなくちゃいけないことはまだ見ぬ遠くではなく、この足元と地続きの場所にあるのかもしれない、とストンと思ったりした。それは必ずしも震災に係わる問題ではないかもしれないけど、とにかくここからそう遠くないところに求めるものは全部あるのだと、妙に強く思ったのだった。

 

ノート夜話

■来年のスケジュール帳とノートを買いました

そろそろ来年以降の予定も決まってきつつあるので、ちょっと早いけど来年のスケジュール帳を購入。

わたしは毎年、スケジュールはロルバーンって決めている。

(○○はこのブランド!って決めているのってかっこいいよね…アップルの人みたいで)

ひそかに毎年テーマカラーも決まっている。ちなみに今年はかわいく赤でした。

白、2011年にも持っていたんだけど、比べてみたら以前の白よりもクリームがかっていた。マイルドでやさしい感じで、よし。

 

大きい方がスケジュールなんですけど、小さい方は毎年1冊作っているノート。

1ページ目に大きく目標を書いて、あとは読みたい本とかやりたいこととかほしいものとか達成したいこととかいろいろを書いていく。年間を通して書き足したり削ったりする。オリジナルで始めたことだけど、いわゆる「夢ノート」に近いかもしれない。

毎年11月に今年の振り返りと棚卸をやって、12月には来年の目標を作り、その年の見た展覧会ベストテンを作るのが毎年恒例行事。

ただしいつも年末は忙しくて目標は1月になってから決まることも多いw

開いて書き始めるときにはほっそりしてピカピカのこのノートも、年が暮れる時にはあちこちで集めて来た紙片だの貼り足した付箋だのでむっくりと太っていて、職場にも旅行にもどこでも持っていくのでボロボロにすり切れていたりする。

それが一年間の成長と成果に見えて、汚れたノートがまるで受験生のように誇らしく感じられたりする。

このノートも来年の年末にはそんなふうに、太って汚れていればいいなと思う。

 

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来年は初心に帰って「白」

■もうデジタルには頼らない

震災と大津波を経て、「やっぱり大事なものはデジタル化しておかないと、燃えたり流されたりしたらおしまいだな」と思い知ったわたしではありますが、やはり手書きに対するこだわりがある。

 

読書自体は比較的コンスタントにしていて、ジャンルは児童文学からビジネス書から古典名作から、相変わらずあちこちを旅人のようにふらついているわけですが、実はここ数年間、ほとんどまともな読書記録を取っていなかった!

そもそも読書環境自体が、職場のランチタイムだったり通勤途上だったり、都度感想をしたためられるような環境ではなく。気になる所に付箋貼ったりツイッターにちょっと書いたりはしてたんですが、それらをきちんとまとめ上げる時間が取れず、結局いつも返却寸前になってぶくろぐへの登録だけで終わってしまい…。しかもその登録ができてるのも、読んだうちの一部だと思う。

感想も書きたいんだけどそもそも結婚してから家でPC開いて座って落ち着いて作業できる時間自体がすごく減ってしまい、かといってスマホでちまちまやるのも億劫で…。

結局、この数年でかなりの数の本を読んできたし、それなりの感慨や学びや気付きやのちのち引きたくなるような名文にもいくつもいくつも会っていたにもかかわらず、それら殆ど全部を忙しいとか後でやろうとか言って惜しげもなく忘却という名のドブに捨ててたんです。

あたしって、ほんとバカ・・・・・

 

結局本と一緒にいつでも持ち運べてすぐに開けるノートが一番使い勝手がいいんじゃないかという結論に達したので、高校時代以来のアナログ回帰。

早速pentonoteでMIDORIの新書サイズの軽量ノートを購入しました(形から入る)。

Pentonote | 文房具・万年筆の店

 

今のところ結構続いています。新し物好きだからかもしれないけど。

それにしてもMIDORIのノートはホント書きやすい。紙がいいんだな。

結婚式の花嫁の手紙もMIDORIの便箋を使ったっけ。

少しクリームがかった白字の目の細かい紙が、何と言っても上品で、大人の女って感じなんだ!

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これからはMIDORIも愛用ブランドに加えようかな

 

 

300930土に挑む 走泥社の作家たち展(福島県立美術館)

■いろんな ええ土(by笑い飯

福島県立美術館で開催されている

「土に挑む 走泥社の作家たち」展に行ってきました。

 

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普段企画展をやるスペースのおよそ1/3ほどを使った、こじんまりとした展示でしたが、日曜日の昼間のわりにガランガランに空いていたし、作品数も38点ほどだったのでその分ひとつひとつに丁寧に見ることができました。近所なので、10分程電車に乗っててくてく歩いて散歩がてらに来たんですが、散歩の延長のようでちょうどいい感じ。

art-museum.fcs.ed.jp

赤レンガが瀟洒な建物は、大高正人氏が設計しました。

すでに20年近く経っていて、震災時には損壊も多少あったようですが、いまは元気に営業中です。

周りには芝生と、そこかしこに竹やつつじの植え込み、小川も流れていて、ロケーションが多彩です。

四季を通してくつろげる自然いっぱいの空間。

実は、ここで結婚式の前撮りもやりました笑

 

展示室の休憩室からいろいろな眺めを楽しむことができるのもポイント。

そういえばこの休憩室、ほかの美術館に比べるとかなり量が多い。大きな部屋と部屋の間にひとつずつあって、全部で5、6個ある。だれがこんなに休憩するんだろう? 場合によっては作業部屋や物置として使えるあそびの空間なのかもしれない。小さい頃から、この休憩室の、空間と空間のはざまにあるようなふしぎな切り離された感じを気にいっている。

 

■本展でのBEST3

①山田光《白い窓》1980頃 岐阜県現代陶芸美術館蔵

白いタイルに目がない。清潔感や水の流れを連想させる。

だから原美術館あの常設展示作品も大好きで、本作を見た時それを連想してしまったし、金色が入っていればもっと完璧だったのになあと思いさえしたが、それは山田さんに失礼か…。

 

②鈴木治《掌上泥象三十八景》1987年 福島県立美術館

38個の抽象オブジェ。太陽や雲、風などの自然現象をかたどった、てのひらに載るくらいの小さな焼き物で、並んでいるととてもかわいらしい。《午後の太陽》《雲ノ化石》などのフワッとしたタイトルと形を比べてみて、どの形が何を表わしているのか考えながら見るのがたのしかった。

この中だと、《風ノ通い路》《太陽ノ道》《消えた雲》が特に形がすきだったな。

色が赤褐色でまるで焼き菓子そっくりなので、小さなサブレーセットになったところを想像した。

38枚の形がみな違うサブレーが、同じ真っ白の袋に個包装されていて、銀色の四角い缶に入っている。そして38の名前のリストが1枚同封されていて、買った人はサブレを食べながら、リストを見て、いまどの名前のサブレを食べているのか考える…っていう。

 

③山田光《塔》1960年頃 岐阜県現代陶芸美術館蔵

オレンジ色の、ねこみたいな形をしたやぐら(塔というよりは、やぐら)。

ランタンみたいに見えるけど、ちょっとねじれているな、と思いぐるっと回りをみてみると、そのねじれは身体運動で、胴をねじって華奢な足を一歩、前に踏み出そうとしているみたいに見える。まるでふしぎな生き物のフィギュアみたい。

 

■本展のお持ち帰りしたい一品

山田光《黒釉花生》1969年 岐阜県現代陶芸美術館蔵

小ぶりで、両掌に収まりそうなぽてっとした楕円形のボディに、つやつやの黒い釉薬がかかっている。へぎ模様も大好き。黒い花瓶は何でも似合うからずるいな!使い勝手のよさそうな見た目で本作をチョイス。ガーベラとか、薔薇とか、派手な花を沢山挿して、玄関とか、テーブルの上に飾りたい。



 

 

 

 

 

 

 

 

ユーゲント・フィルハーモニカー第二回福島公演に行ってきました

■時々はコンサートへ行きます

このラインナップだったら行くでしょ

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 特にラフマの協奏曲第二番は、その昔ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンでロシア三昧をやった時(2014年)に、有楽町で聞いた思い出の曲。あの出だしを初めて生で聴き、勿論初見ではなかったのにもかかわらず、射ぬかれた。ターン…ターン…の繰り返しの間隔はできるだけ広く、もったいぶっているのが好きなんだけど、今回はわりと軽快な感じだったような。(出だしが特に印象的な曲っていくつかある。ジムノペディ第一番とか、ショパン夜想曲Op.9-1とか。)

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会場のようす(開演前)。

 

ショスタコとかわりと久々に聴いた。けどとても華やかで変化に富んだ曲調で、聴いていてとてもうきうきしたのでまた別なものも聴いてみたい。

「悲愴」、全然悲愴な感じがしなかったのでびっくりした。むしろテンションアゲアゲ↑↑ウェーイ↑↑ってかんじだった… 

 

■あなたのクラシックはどこから?わたしは「名曲スケッチ」から

 在宅時はほぼずっと、ネットラジオで何らかの曲をかけているくらいには、わたしの生活になじんでいるクラシック音楽ネットラジオの前はyoutube、その前はラジオで、わたしはずいぶん長いことクラシック音楽に触れて暮らしてきた。しかし演奏はできないし、曲名とか作曲者名を美術ほど意識していないので、知識的には疎い。何度も聴いているお気に入りの曲でさえ、名前がおぼつかないこと。しかも家でかけているのは大体ソロ曲かバロック、ロマン派のピアノ曲ばかり(つまりオーケストラ系を殆ど聞かない。作業するときに併用するので音が派手で多いと集中がそがれるからか無意識に避けていたらしい)。好き嫌いが激しいのかもしれない。

 わたしの人生におけるクラシック音楽との出会いはラジオだった。家にあったポータブルCDプレイヤーで、初めのうちはCDやカセット(旧文明のアイテムだ…)を聞いていたものの、小学生(高学年)の頃にはラジオでNHKのFMを聴いていた。その頃から高校卒業までずっと追いかけていたのがラジオドラマ枠の「青春アドベンチャー(今も放送している)」。2週間でひとつの小説を分割して放送する。毎晩23時から始まる物語にわくわくしていた。そのひとつ前の枠が、10分程度クラシック音楽を流してくれる「名曲スケッチ」という枠だった(もしかしたら21時からのポップス番組「ミュージックスクエア」の前の枠だったかもしれないが失念)。楽しみにしている番組がある時はすこし早くTVをつけ、チャンネルを合わせて座って見ているように、わたしもラジオでそうした結果、日常的にクラシック音楽を聴くような素地が出来上がっていた。というわけでした。

 

■その次はアート

福島テルサでこんな展示を公開していた。

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福大教育学部の美術専攻卒業生の合同展。毎年やっていたらしい。知らなかった…

ネーミングもフライヤーもオシャレだったので現代アートが見れるのかな?と思って行ったら、写真やイラスト等の穏当でこじんまりした展示でした。でも展示作品はレベルが高くて、安心して見られるものがそろっていました。特に渡邊太さんの連作写真はよかったな…。家族とか風景とかのなにげないワンショットなんだけど、そういうスナップを撮る時に、カラーバランスとか物の配置とか構図がまるであつらえたようにピタッと整っている瞬間ってたしかにあると思う。それをとらえた写真を見ちゃうとすごくキュンとして自分もこういう写真を撮りたい、撮ってもらいたいと素人ながら考えてしまうのでした。

文具屋ペントノートも移転終わったみたいだし(レトロなビルにオシャレな雑貨屋さんやカフェが入っているのって、まるで神戸のベイエリアみたいだ)、市街地まわりもなんだか楽しくなってきた。やっぱりわたしがいない間に、福島もすこしずつ文化の薫りを育みつつあったのかもしれない。